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会社という共同体を支えるフィクション

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話題の『一神教全史』を読んでおります。まだ20ページしか読んでないですが、うーむ、これはすごい…。

今回はこの本の20ページを元に、会社組織のことを考えてみました。

人間の前提:生きるために共同体が必須
“人間は一個の生物としてはか弱い存在ですので、共同体を形成して力と知恵を結集することなしには、満足に生きてゆくことができない“

共同体の前提:フィクションという人格
(共同体には)“「虚構の人格」と呼ぶべき存在が君臨している。具体例を挙げれば、祖霊・神・国家・法人などがそれに当たります。共同体は、物理的には存在しないこうした人格を頂点に掲げることによって、その全体的な統合を保っている“

会社の前提:共同体そのもの
“法人とは英語で「コーポレーション」と言うのですが、これは元々「キリストの身体(コルプス・クリスティ)」というラテン語に由来します。キリスト教徒たちは、定期的に行われる聖餐の儀礼において、パンとブドウ酒を共食する。彼らにとってこうした食物は、犠牲に捧げられた「キリストの身体」を表象しており、それらを共に食べることによって、彼らは体を同じくし、「教会」という共同体を結成することになる“

フィクション:ビジョンでしょ
“この世に共同体があるところ、そこには必ずフィクションを支えるための「信」が“ある。

うーむ、まさに会社とは共同体であり、その共同体を支えるフィクションが、会社が掲げる「ビジョン」や「ミッション」なのだと理解しました。つまり、宗教と構造は一緒ってことですね。

会社が一神教なのかも
日本人がなぜあんなに会社のために生きるのか。それは日本社会にとって会社が最も大きな共同体であり、一神教に近いから、と言えるのではないでしょうか。
しかしこの会社という共同体も、若い人の中ではなくなりつつありますから、共同体の喪失ということになりますね。
中年以降の多くの人にとっては、信じてきた共同体が滅びつつあることに不安を感じている。

新しい共同体はどこに
共同体がないと生きていけない、というのが人間の前提でしたので、共同体の喪失に不安を感じることは自然です。
では、日本社会にとっての新しい共同体はどこにあるのでしょうか?ジョブ型とか働き方改革とかっていうテクニックの前の、根本的なところに激変が起きています。

私の答えは…今のところ見つかっていません。しかしこれまた、かなり長く楽しめそうなテーマです。この本を読み進めたらまた考えてみます。

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