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大きなストーリーの喪失:幸せとは何か。個人で幸せを定義しなければいけないしんどさ

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今日は、リーダーシップの授業の中で、自分がこれまで成し遂げてきたことと、これから成し遂げたいことについてグループで話す機会がありました。

自分が組織にいて答えを見つけられなかったことに、この先、どうやって組織に一体感を持たせることができるのだろう、というものがあります。

特にコロナ以降でしょうか。リモートワークもありになって、自分自身も組織で働くことってなんだろうと考えるようになりました。会社にも行かず人とも話さず、それでも仕事としては回っている。「俺はコマツで働いているのか?これではコマツに経理業務委託されているようなものではないか?」と感じることがありました。

じゃぁ毎日出社するのが良いのかと言うと、きっとそうでは無いんだろうし、リモートワークができなきゃ会社の魅力も少ないと言う事実もあります。

でも、一方で、今毎日学校に来てるわけです。学校はリモートじゃないんです。でもだからこそ、人とのつながりがあって、その人の空気を感じることができる。何か自分がつながっている感覚を得られる。こういうのって大事なんだろうなぁって思うんです。

じゃあ結局どうするの?について、自分の中で明確な答えは無い。これもうちょっと考えていくと、幸せってなんだろうって言う話になるんだと思います。

昔は「これが標準の幸せ像」と言うわかりやすい定義がありました。例えば結婚するとか、子供を産むとか昇進するとか家を建てるとか。でも、今の先進国や日本で、こういうことって別に幸せとは違いますよね。

昔は、オーダーメイドの幸せ像を作らなくてもよかったんですが、今は皆が自分の幸せ像を作らなければいけないことになっていて、「幸せって何?」が問いかけられていると思います。

そして、幸せの形が人それぞれ多様化するからこそ、人の集団を1つの方向性に持っていったり、まとまっていくっていうのがますます難しいんだろうなと思います。

とりあえず、1年間の中で、この疑問に答えられる洞察に巡り会えるとラッキーだなぁと思っていますが、さてどうなることやら。

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