20代のころに、その当時の上司から「40歳になったら座右の銘くらいもってないとな」と言われたことを思い出しました。その方の座右の銘は「不撓不屈」。いや、この言葉のとおりの方でした。恐るべき迫力がありました。その実行力、信念を今でも尊敬しています。そうですね、いま、あんなにも「信念」を持った人は、ほぼ見ない気がします。
さて翻って私。いやあ、無いんだよなあ、そんなの。でも、とある名言メーカーが近くにいるので、その人の言葉を咀嚼してみます。
「家族のためなどという、もっともらしい言い訳をするな。挑戦せよ。親が挑戦しなければ、その背中を見て育った子供もまた、挑戦をしなくなる。」
私が就職活動の難しさにひよって「家族のことも考えたら、日本に帰って一緒に暮らせる仕事探さないとなあ」と言ったところ、言われた一言。お前(私のこと)がびびってるだけだろ。自分がビビってあきらめかけているだけのくせに、自分の弱さを「家族のため」と話をすり替えるのは言い訳であり、自己欺瞞である。もし自分の子供が挑戦もせずに諦める姿を見たらどうする?がんばれと言うだろう?しかし、親が挑戦もしないのなら、その姿を見て育った子供もまた、挑戦をしなくなるだろう。それでいいのか?
「人生長いのに効率ばっか気にしてショートカットしてどうする。ゴールは遠ければ遠いほど楽しい。生き急ぐな」
何か”答え”みたいなものを探してしまうことがあります。でもそんなものは無い。卒業後の就職先にいろんなものを期待したい。でもそんなにうまくはいかない。目先の結果ばかり気にしていた時に言われた言葉がこれです。コスパ、タイパ。いいじゃん、そんなの気にしなくて。ゆっくり行こう、楽しもう。そのゴールは永遠に訪れないかもしれませんが、それでいいじゃないですか。達成したって、退屈なだけですよ。
「(留学や転職などは)目先の報酬を得ることが成果ではない。何かを変えることにより、自分は変われるという自信・確信を得ることが成果である。一度その自信を身に付ければ、どこでも強く生きていける」
これはどんな文脈だったか忘れましたが、言っていることはよくわかります。自分たちが子供たちに望むものは学歴でも英語でも安定でもなく、自分で生きていける力です。それはどこから来るのか?自分は大丈夫だという、自信です。自信の語源は、「自分を信じられる力」だと理解しています。自信の付け方は複数あると思いますが、変わることもまた一つ。変わることそのものが強さであり、適応力・たくましさの証明です。
とまあいろいろ書きましたが、この名言メーカーは、私の妻でした。いやあ、たくましい。
名言メーカーのおすそ分け

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