企業統治っていう授業がありまして、その課題の過程で取締役会の多様性について調べていたんですけど、グローバル企業でも、人種の多様性って全然ないなあってことに驚きました。
最初は元職場の取締役会の構成を調べていたんです。売上の9割超が日本以外で、従業員6万人のうち5万人が非日本人。なのに取締役会9名のうち、非日本人は1名。これはアンバランスだ、なんて主張をしようとしていたんです。
でも念のため競合を調べてみようと思って業界一位の米国企業を調べていたところ、取締役9名のうち…。あれ、おかしいな。すごく偏っている。”グローバル企業”のはずなのに。
しかたない、いわゆる”グローバル企業”で有名なところを調べたら、きっと多種多様な取締役の構成になっているに違いない。というわけで、欧州の一番有名な消費財メーカーを調べてみました。13名の取締役のうち…あれ、おかしいな。すごく偏っている。”グローバル企業”のはずなのに。
しかたない、米国の最大手ともいえるIT企業なら、きっと私の望む結果が出てくるに違いありません。調べてみると、取締役会12名のうち…あれ、おかしいな。すごく偏っている。”グローバル企業”のはずなのに。
いやいや、ちょっと待ってくれ。たしか私が通っているロンドンにあるとあるビジネススクールでは、教授がこぞって「多様性の重要性」を語っていたはずなんですけど。私もLinkedInの投稿で、「多様性は非効率だが効果的である」なんて、わかったようなことを書いてきたんですけど。企業の実態は全然違うやん。
どんなにグローバルに影響力がある会社であったとしても、どの国の企業かによって人口構成は決まる、ということでしょうか。であれば、多様性というのはただのスローガンであり、絵空事ということ?
ここで一つ思い出すのが、この授業で取り上げたタケダです。日本企業でありながら、取締役会やマネジメント層の日本人比率を大きく下げました。グローバル化への対応の一つとしてそれを行ったわけですが、実は世界のグローバル企業のなかでも、他に例がないのかもしれません。
ここでもう一つ考えるのが、「グローバル」の定義です。どうやら、そもそも私は、グローバルの定義を理解していないことがわかりました。辞書で確認すると、「グローバル」は、「地球規模で」「全世界に影響を及ぼす」という意味を持ちます。この言葉は、企業や組織が国際的に活動し、多国籍の人材や視点を取り入れて、世界全体を視野に入れたビジネス展開をしていることを指す際にも用いられます。
「グローバリゼーション」は「グローバル化」または「地球規模化」と訳され、特に経済、文化、政治、技術などの分野で、世界各地が相互に依存し、結びつきが強まっていくプロセスを指します。グローバリゼーションは、国境を越えた交流や統合が進むことで、異なる地域間での経済的・文化的な障壁が低下し、世界が「一つの市場」として機能するようになる現象を意味します。
これでわかったのは、私の定義が間違っていたということです。私のいうグローバルはどちらかというと、地球市民(人種を超えて協力すると、世界全体としてより最適化される)みたいなイメージでしたが、実際は「国益を最大化するために他国をどう利用するか」と言えそうです。
いや、私の論理はちょっとこじつけだな。もうちょっとシンプルな言い方にしてもいいんだけど、ここでははばかられるので、またいつかどこかで。
まあでも、データを自分で確認するって、大事ですね。再認識。
多様性とグローバル:多様性って、ほんとかな???

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